良い文章を書く人は人格者である、という幻想
KCN :今日もお疲れさまー
劇 :お疲れ
KCN :この前、ある作家さんのオフレコ対談に行ったら
劇 :うん
KCN :「良い文章が書けるってだけで人格者だと思ったらダメですよ」って
劇 :え?!(笑)
KCN :「作家になって、作家達に会った私が言うんだから確かです」って
劇 :えーー?!作家さんとか物書き系の人は、人格者だと思ってた(笑)
KCN :そう。俺も聞いたときは、びっくりしたけど腑に落ちたことがあって
劇 :おー
KCN :ブロガー系でネット界隈ではちょっと名の知れた人に会ったときに
劇 :うん
KCN :「ん?!文章の偉大キャラに比べて、リアルキャパすげ小さっ」って
劇 :なったんだ(笑)誰だよ
KCN :それが思い浮かんでねー、腑に落ちたんだな
劇 :教えねーのかよ(笑)
KCN :一方で、芸術家は必ずしも人格者ではないってのは感覚としてある
劇 :確かに(笑)不思議だな
KCN :でも芸術家に対する考え方のほうが自然で
劇 :うん
KCN :職業で何がどうとか言えないんだよなー、結局は個人だし
劇 :あー、うん
KCN :人格者かどうかは職業や才能に依存しない
劇 :言い切った(笑)
KCN :今日のポイント「良い文章を書く人=人格者は幻想」目を覚ませ
劇 :おはようございます
KCN :おはようございます
劇 :良い文章を読んだからって書き手に期待しないように、という
KCN :それそれ
劇 :このブログに関しては、その心配はないな(笑)
KCN :盛りたいわー